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Yuami festival in Kannawa
別府市鉄輪温泉街いでゆ坂
いでゆ坂を下がると一遍上人開祖の温泉山永福寺
が左手に見えて来ます
鉄輪温泉を開いた一遍上人を偲んで
毎年彼岸入り後「湯あみ祭り」が温泉
山永福寺とその周辺で行われます。
初日は昼から昨年献湯に用いた献湯
筒の供養が寺の境内で行われました
(写真右)その後上人餅つき会で搗か
れた餅が献上されます。(写真右下)
そして今年も新たに温泉・噴気の所有
者・利用者の方々が献湯し、湯法要が
行われました。(写真左下)
第 四十四回 鉄輪温泉
遊行上人絵解掛軸
温泉山永福寺本堂内展示
上の掛軸の左側より右側へかけて、
一遍上人誕生〜煮えたぎる鉄輪地
獄を静めて石風呂(蒸し湯)を開いた
様が描かれています。
左の絵は蒸し湯を描いたものだそう
です、
- 今回の取材に際し、温泉山永福寺御住職
の好意により本堂内の撮影を行いました。
お礼申し上げます -
念仏札を配られる一遍上人
- 上の写真クリックすると拡大 -
湯あみ祭りの由来・・
温泉が宗教と結びついた素朴な
行事・・・鉄輪湯あみ祭りは、鎌
倉時代「玖倍理湯乃井」と言われ
た荒地獄を一遍上人が開発、創
設した風呂本町の「蒸し湯」付近
を中心に行われます。
上人の木像を住職が入浴させ、
地元の人や湯治客が献湯用の
湯竹で湯をかけ町内の浴場を
巡回するこの祭りは一遍上人
の徳を称えて感謝する祭りな
のです。
一遍上人木像を担い
で湯あみへ(写真左)
先導役の稚児達
(写真右)
この鉄輪・風呂本
界隈路地には一
遍上人が開いたと
言われる蒸し湯・
渋の湯・熱の湯の
三名湯があります
渋の湯 一遍上人像の湯あみ風景(写真上・右)
蒸し湯
上人像は元湯(写真上)にお入りになり、渋の湯〜更に蒸し湯(写真右)で湯あみされます
元湯前広場は上人様への湯かけ行事や稚児行列の出発の見物客で混雑・・・
湯あみ法要を終えた上人像は稚児達に先導
されて、元湯前を出発、途中熱の湯前で手を
合わせ鉄輪温泉街を練り歩きました
湯けむりのライトアップ
湯あみ祭り期間中は午後7時から旅館・ホテルなど
7ヵ所の泉源から立ち昇る湯けむりが青や緑・黄の
ライトで幻想的に染まっていました。
湯けむりの街、別府、その内でも鉄輪温泉からの
湯けむりは一遍上人様が後の世に伝えるために残した息吹かも知れません
熱の湯
上の写真クリックすると拡大
湯あみ祭りについて・・・
江戸時代この地の庄屋の日記
には、一遍上人を偲びお正月・
春のお彼岸・8月23日(一遍上
人入滅日)・秋のお彼岸の年4
回行われたと記されているそう
です。
上人の木像を湯浴みさせると言
う行事は全国的にも珍しく、江戸
時代の湯治の面影を残した庶民
的な雰囲気がそのまま現代に残
されたお祭りです。
現在の湯あみ祭りは昭和35年に
復活され以後毎年秋のお彼岸に
行われています。
(温泉山永福寺談話)
Classical Guiter by Carulli Duo's mid.
湯あみ祭り期間中は本堂内で重要文化財 紙本著色遊行上人絵伝、一巻の展示が行われました(写真下)
一遍上人 捨聖と言われ遊行の名の下に
全国を行脚、庶民に踊念仏を普及させた最
後の鎌倉新仏教・時宗(じしゅう)の開祖、
諡号は円照大師、1276年上人38の時に九
州一円を遊行、鉄輪温泉を造る
湯あみ法要と稚児行列
最終日はメーンイベントの「湯あみ法要」と「稚児行列」です
午前10時半一遍上人法要が行われた後、稚児装束の子供
約30人に導かれて上人像を担いだ行列が温泉山永福寺境
内から石段を下り渋の湯へ向いました。
右写真は「湯あみ法要」に先立ち永福寺本堂で数珠送りを
する稚児達
献湯筒の供養
渋の湯
上人像の湯あみ
が終わると一旦
元湯前に安置、
稚児や地元の皆
さん、見物人が
上人像へひしゃ
くでお湯をかけて
無病息災を祈り
ました
浜田別府市長の
姿も・・・(写真右)
鉄輪・風呂本界隈のライトアップ
(写真上)
湯けむりの街、別府・・・
鉄輪方面(右)とライトアップ風景
(写真左下)
Photo by master