七つの海へ乗り出そう
Let go !!  The sevev oceans
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続 ・ イ ン ド 洋
    India ocean
モルデイブ諸島
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セイシェルの海
モーリシャスの海 ・・・ Mauritius 
ポートルイス港    1991年 8月
セイシェル共和国

アフリカ大陸東方、マダガスカル島の北東1,100km
の位置を中心に南北1,600kmに渡り115の島が点
在しています。

セイシェル諸島を中心に、西にミラント諸島、南に
ファーカー諸島、さらに西にアルダブラ諸島に分け
られる海洋国家で人口約81,000人。かってフラン
ス・イギリスの植民地を経て1976年独立。
一般に”セイシェル”と言った場合、セイシェル諸島
を指します。


インド洋最後の楽園 セイシェル諸島・・・


首都はマヘ島のビクトリア、主要産業は
観光で欧州からの滞在型観光客が多い
セイシェル諸島
マヘ島ビクトリア湾へ冷凍運搬船で入港、湾内で日本や韓国の
遠洋まぐろ船からインド洋で獲れた鮪を積むのです。年に数回
は入港しました。 (船橋ウイングより撮影 1987年 6月)
南緯5度51分、東経44度30分に位置す
るマヘ島は年間を通して平均気温27℃
と過ごし易く、サイクロンのコースから外
れているのでマヘビーチでは一年中泳
げます。

セイシェル諸島はもともと無人島で先住
民はいません、移民による多民族国家
なのです。アフリカ系、フランス系、イギ
リス系、インド系、アラブ系etc...........

昔は海賊の隠れ基地でした、その為つい
最近まで海賊の宝が小さな島に隠されて
いると信じられていたそうです。

7世紀ぐらいからアラブ商人や海賊が偶然
セイシェルに渡来した形跡があり、1609年
には英国東インド会社の船が探索の途中に
立ち寄ったと航海日誌に記録があり、当時
もまだ無人島だったそうです。

その後1720年代までは海賊たちの巣窟となり、悪名高いイギリス人の海賊
ジョン・テイラーと、ハゲタカと恐れられていたフランス人の海賊ラ・ビューズ
が、セイシェルをベースとしてインド洋を荒らしていました。
1756年11月1日フランス人船長モルフェユによってマヘにA Possession 
Stone(所有碑)が置かれ、 セイシェル諸島はフランスの領土となり、当時の
ルイ15世の蔵相ジャン・モロー・ドゥ・セイシェル子爵の名をとってセイシェル
と命名されました。

その後イギリスの領土となり、1976年に独立、社会主義が続き、1993年から
民主主義多党制に移行、現在に至っています。 (gloria tourist inc)
A Possession Stone
マヘビーチ                1990年 9月
マヘビーチにて        1987年 6月
美しいマヘ・ビーチの夕日を撮ろうと、でも生憎
の曇天・・・打ち寄せる波が静かでした。
           
ビクトリア・ロード
首都ビクトリアの街からビク
トリアロードをバスで南西へ、
山越えをするとマヘ・ビーチ
へ到着です。前方はモルヌ・
セイシェロフ山(標高906m)
首都 ビクトリア遠景、その前に広がるビクトリア湾
マヘビーチ ( マヘ島)            1987年 6月
セイシェルの夕日 ( マヘ・ビーチの夕焼け )

刻々と変化していく光の芸術
 青い空が少しづつオレンジ色に変わり

水平線が黄金色に輝き始める
         それは荘厳なパノラマショー


やがて太陽が沈む頃
 天上から安らぎを囁く様に闇の帳が
りて来る・・・


一つの星である地球の神秘をかい間見る
セイシェルの海 ・・・
セイシェルの夕日  1990年 9月
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メインビーチのボーヴァロンビーチには大型ホテルが
点在しています。 きれいな砂浜が延々と続き、パラ
セーリングや水上スキーはもちろん色々なウォータ
ースポーツが楽しめます。

ビーチの最大の特徴は何と言ってもパウダーの様な
砂でしょうか・・・さらさらとしたそのきめ細かさはビー
チを歩く足裏へ優しく触れてきます。多分世界中でこ
の砂に優る砂は無いでしょう。

このビーチの砂をナイロン袋に詰めて日本へ持ち帰り
ました。今でも我が家のリビングには瓶に詰めたセイ
シェルの砂が飾ってあります。 

ビーチではパラセーリングや水上スキーなど
ウォータースポーツが楽しめる(1987年 6月)
パラセーリングを楽しむ女性をカメラで追って
みました。お客は男性より女性の方が倍近く
多いとか・・・そうです、案外男は肝が小さい
のです。 (1987年 6月)
パラセールを曳いて沖合いへ向けて走るモーターボートが
速力を上げると、やがて空中へふぁっと浮かんで・・・。
ビーチ沖合い上空を気持ち良さそう。。。 それを眺めながら砂浜で身体を焼いている女性、当時ビーチでは
ほとんどの女性がトップレスの水着で歩いていました。        1987年 6月
何故かマヘ島の椰子の実はこの様な形なのです、
ですから土産に買う観光客が多いのです。
私は貝細工を求めましたが結構高かったのを覚
えています、島の物資はほとんど輸入品。
セイシェルでは国土の46%が生物種の保存と自然保護に割かれています。この比率は世界最高
のものです。そしてその大部分を世界最大の環礁のアルダブラが占めています。そこには世界で
最多の15万匹に及ぶゾウガメが生息し、またそこはオオフラミンゴの知られざる生殖地の一つで
す。アルダブラ諸島を囲む水域は数多くの素晴らしいウミガメの種類を世界に誇り、幾千ものキノ
コ形の珊瑚の小島には非常に多数の海烏が巣を作っています。(日本セイシェル協会HPより)
  モーリシャス共和国

モーリシャスは東京都ほどの大
きさの、珊瑚に囲まれた火山島
です。

アフリカ東方のマダガスカル島
の東、南回帰線近くに位置する。
セイシェル諸島が "インド洋最後の楽園 " ならば、
ここモーリシャスは・・・・・

"神はここをまねて楽園を創られた"
                              (マーク・トウェーン)とか
"インド洋の貴婦人"と呼ばれる。
(月刊モーリシャス)
首都ポートルイスの町並み    1991年 8月
島の人口は100万人を超え、そのうちインド系が4分の3、
混血のクレオール系が4分の1、その他中国や白人系
など住んでいます。

セイシェル諸島と同じように元は無人島
10世紀にアラ
ブ人が初めて地図に記載したとされる。
オランダが初の
植民を試み、続いてフランスが本格植民を行ってフラン
ス島と命名。
その後、代わってイギリスが占拠。クレオー
ルの祖先にあたるアフリカ系、奴隷廃止後にはインド系
の移入が本格化、中国系も労働者や商人として定住。

植民地として栄えてきた歴史がここにも残されています。
島の周辺に広がる珊瑚礁  (モーリシャス観光PR写真)
モーリシャスより遠くインド洋を望む・・・        1991年 8月